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ラーメン1杯に歴史あり!伝説的ラーメン店「ホープ軒」社長が語る“まちの哲学”

ダガヤサンドウに関わる様々の人々へのインタビューを通じて、まちの魅力を掘り下げる連載企画!第3回目となる今回は、ダガヤサンドウの伝説的なラーメン店「ホープ軒」を営みながら、千駄ヶ谷大通り商店街振興組合の理事長を務める牛久保英昭さんにインタビュー。身一つで屋台を始め、一代にして人気ラーメン店を築き上げるまでに至った牛久保さんの半生を伺いました。

はじまりは一つの屋台から

―この度はよろしくお願いします!ダガヤサンドウという言葉も世の中で少しずつ浸透してきましたね。
「いろんな所でダガヤサンドウと呼ばれるようになっても、謙虚に生きていかなければならないね。あくまでも控えめにね(笑)」

―そうですね(笑)。さて、牛久保さんは20代で屋台を始めたと伺いました。
「屋台を借りてラーメン屋を始めたのが20代の頃。その時はできるだけ都心で商売をしようと思って、早稲田、歌舞伎町辺りをまわっていたよ。その後は、銀座近くに移動。夜に仕事をしている人をターゲットにしていたね。

昔のNHKがあった内幸町あたりで、12~13年ほど屋台を続けたんだよ。場所柄、夜に仕事をしている人の方が多かった。新聞社なんかも多かったから、ニュースが入ってくるのも早かったよ(笑)。ケネディ大統領暗殺のニュースは、事件から一時間後には情報が入ってきていたね。今ではあまり考えられないかも知れないけど、マスコミの人も、毎日色んなニュースを教えてくれていたよ。

その後、千駄ヶ谷に店を構えることになったんだけど、やっぱりこっちに移ってきたときは、なんとなく寂しかったよね」

―千駄ヶ谷を選んだ理由を教えてください。 
「NHKが渋谷に引っ越したのが一つのきっかけ。他の新聞社も引っ越しちゃって、マスコミの人も少なくなっちゃった。となると、お客さまの半分を占めるタクシーの運転手のみなさんのことを考えた。店を構えるのなら、車が停めやすいところがいいなと。自分も千駄ヶ谷に住んでいたし、この辺りがちょうど良かったんだね。ここで店を開いたのが昭和50年(1975年)の頃だね。

でもその当時は、この辺りは何をやっても商売にならない場所だった。この辺がキラーストリート(外苑西通りの別名)と言われるのもそれが一つの所以。周りにもあまりお店は無かったね。

このまちを見続けてきて40年。お客様にも歴史あり。

―千駄ヶ谷で40年!お客さまの層に変化はありましたか。
「タクシーの運転手の方々は引き続き来てくれているよ。マスコミの人たちは少くなっちゃった。昔は夜に働いている人をターゲットにしていたんだけど、そういう商売が少なくなってきているのを感じるな。働き方改革で残業も少なくなったんだね(笑)」

―近くに神宮球場もあり、野球が終わった後はいつも混み合っていますよね。
「実は、一見のお客さんは少ないんだ。何回か来てくださって、お店を知っていただいて来てくれる。六大学リーグになると毎年同じだから、来てくれる人も多いね。先輩から後輩に語り継がれることが多いんだ。昔学生だった人が、社会人になって来てくれることもあるよ」

―常連さんも多いんでしょうね。
「何十年も来てくれる方もいらっしゃるね。初めに来たのは高校生だったけど、何年か経ってご家族で来た方もいたね」

―お客様にも歴史あり、ですね。

ダガヤサンドウから哲学者が生まれる!?

―最後に、ダガヤサンドウをどんなまちにしていきたいですか。
「この辺りは、学校もあるし、文化もあるし、実は日本舞踊も盛ん。そういったところをもっと世界に発信していきたいね。出来れば、世界中から学生が集まって、一時期のパリのような、モンマルトルの丘のような場所にしていきたい。パリの屋根裏部屋で勉強して、ノーベル賞や画家になった人が出てくるような感じが好きなんだ。

思想家でも哲学者でも、“次の時代を担う人が育つまち”になっていってほしいな。そして、いろんな人や企業の“社交場”になると嬉しいね」

DATA

 

店舗名 ホープ軒
住所 渋谷区千駄ヶ谷2-33-9
営業時間 24時間営業
定休日 無休
TEL 03-3405-4249
URL  http://www.hopeken.co.jp/

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